うつ病

うつ病とは

無意識に「コーヒーフレッシュ」を使われる人は要注意です! 故会長:福田 規雄

2001年小泉純一郎と桜を見る会にて 「コーヒーフレッシュ」は「生クリーム」とは全然違うものです。
ネーミングの妙とでも申しましょうか。
まるで「生クリーム」としか聞こえませんが、マッタク、全然異質のものなのです。
こういうネーミングは消費者を馬鹿にしているとしか思えません。
「生クリーム」には、本来苦くて酸っぱいコーヒーをまろやかに(マイルドに)してくれる要素が有ります。それが乳脂肪です。

しかし、ヤシ油から作られる植物性「コーヒーフレッシュ」には当然ながら乳脂肪分は有りません。したがって「コーヒーフレッシュ」にはマイルド化作用の要素は無いのです。

ポーションタイプで、乳脂肪入りの物は殆どありません。
めいらくの十勝フレッシュ(スジャータ・ゴールド)か森永のクリープあたりです。
缶詰では富士生クリームが有名です。

戦後、まだ乳製品が高価だった頃、生クリームの代用として「コーヒーフレッシュ」が考案されたのです。
当然安価ですので、プロであるはずの喫茶店までもが利用し始めました。
このあたりのくだりは「ゴールドパックのおいたち」↓↓で述べておりますので
参考にして下さい。

「コーヒーフレッシュ」を直に舐めてみて下さい。マズイ筈です。
ねとぉ~として舐める気にはならないような代物です。
それに比べて、生クリームはミルクの香りがフワッとして美味しいのです。
おいしいコーヒーを淹れても、不味い「ミルクもどき」を入れると、折角のコーヒーまでがマズクなってしまうのは当たり前です。

安易にフレッシュを入れている方を見かけるにつけ、
「あぁ~」と思わず吐息が出てしまいます。貴方も見られているかも知れませんよ。

入れるなら本物の生クリームにしましょう。

ゴールドぱっくのおいたち

1995年 魔女っこ・しんぶん2月号掲載記事より  故会長:福田 規雄

昭和26年(1951年)に、大阪でコーヒー焙煎加工販売業として創業、営業を始めました。
福田珈琲の創世記は苦難の連続でした。当時、コーヒーの販売先は全て喫茶店で、1ポンド(450g)当たり750円でした。
現在のキロ立てに換算すると1キロ当たり1670円(現在の70%程度)でした。他の食品に比べるとずいぶん高価な物でした。(当時牛乳180cc13円、酒1升400円でした)
ちなみに鶏卵は物価の優等生といわれますが、コーヒーはそれ以上ですね。
さて、喫茶店に売り込みに行く際、必ずサンプルが必要となりますが、その費用がまた馬鹿になりません。
サンプル(0.25ポンド=112g)の売価が187円。その当時の3人家族の1日の生活費が200円程度といわれた時代でしたので、サンプル費捻出には大変な苦労を強いられました。

そして、その血が滲むほど高価なサンプルを持参しても、殆どの喫茶店さんの反応はというと、「現在使っている他社のコーヒーと変わり映えしない」「香りが強すぎる」とか「もっとソフトで甘い感じのコーヒーだったら、今すぐに君のコーヒーに切り替えてもいいよ」などなど冷たいものばかりでした。
当時のコーヒーのイメージ「柔らかくて、甘い香り」これは米国製のMJB、ヒルズブラザーズ、チェスサンボーン等のポンド缶コーヒーの特徴でした。
戦前の1940年頃から輸入が途切れ、戦後1946年頃から闇市を通じて喫茶店に広がったものでした。
缶の巻き取り口をねごると、プスッというバキューム缶特有の音がして、缶内の甘い香りが勢いよく飛び出したものです。
当時の米国製コーヒー缶は真空度を60~70%にする技術しかなく、缶内のコーヒー自体が酸化した気体を充満させてしまうのです。それが一気に吹き出し、永らくコーヒー本来の香りを忘れていた日本人に「甘い香り」と勘違いさせたのです。丁度あの郷愁のような「錯覚」を植え付けたのでした。
良い豆の輸入が再開してから私が一所懸命に焙ったコーヒーの方が、油が廻って酸化した米国製コーヒーより刺激が強いのは当然です。刺激こそがコーヒーの新鮮さを物語るものだからです。

しかし「これが本物のコーヒーなのです!」と喫茶店のご主人を説得する知恵も知識も当時の私にはありませんでした。せめて「アレは酸化した香りなのです!間違っておられます!こちらの方が新鮮で本物のコーヒーなのです!」と言い切ることが出来ておれば、血の滲むような苦労も報われたかも知れずと、今さら悔やんでも仕方のないことです。

昭和20年代、コーヒーの普及は殆ど喫茶店ルートでした。当時レギュラー・コーヒーを淹れるには、ネルのフィルターを使ったので面倒でした。後に紙フィルターが出回ったのは、日本経済が発展し、大衆の懐も豊かになって、「使い捨て時代」になってからのことです。
 
さて、前述したMJBに代表される米国製のポンド缶コーヒーは、1950年代に日本政府の輸入規制の対象となり、輸入されなくなりました。1963年に400g以下のレギュラー・コーヒ缶の輸入が自由化されても、250g缶のみ輸入され、ポンド缶(450g)は忘れ去られたてい態となりました。
しかしこのことが私たち弱小コーヒー・ロースター(焙煎業者)の生きる道を残してくれたのです。

一方インスタントコーヒー業界では、1960年に森永製菓が製造を開始、爆発的な売れ行きを示しました。
続いてゼネラルフーズ、少しおいてネッスル・ジャパンが追従しました。

さすがに外資系は強く、森永など線香花火のように、あっけなく脱落、外資系2社のみ残りました。
このインスタント・コーヒー・ブームがコーヒーの家庭浸透のきっかけとなりました。
もっとも、レギュラー・コーヒーの方が美味しいとその位置付けにも役立ちました。
「人間万事塞翁が馬」と言うべきです。

こうしたこともあり、私たちロースターは何とかして家庭にも進出したい、させたいものだと願っておりました。
台所に進出するには、抽出器具の改良や、レギュラー・コーヒーの小売りの方法、新しい包材の研究と模索の連続でした。

外国の製品も随分参考になりました。とりわけドイツの真空包装技術でした。アルミ箔かと思える袋に250gいれて真空にして、綺麗な辞書のような紙函に詰められておりました。味はというと、真空度が低いために鮮度が落ちて、箱の綺麗さとは対照的にがっかりするものでした。しかし缶詰以上に真空度を高めるには、100%まで真空に出来るこの方法が最良であると大いに刺激を受けました。
この経験と考察が後年、「ゴールドパック」の製造を始める時に基本となりました。

焙煎直後のおいしいレギュラー・コーヒーを一般家庭へも普及させたいという夢の実現への第一歩となったのです。

さて、コーヒーの味は、大阪万国博覧会の開かれた1970年頃と現在では大いに異なります。

 以前は深く焙った豆から濃いめに抽出されたコーヒーに、タップリと生クリームを加えました。つまり、苦みの効いたものを生クリームの働きで、まったりと飲みやすくして味わったものでした。

この生クリームは非常に腐りやすいものですから、家庭では使えません。そのために「美味しいコーヒーは喫茶店に限る」という定説が出来ました。当然この1970年からの暫くが喫茶店の最盛期でした。それが思いもかけないところから衰退へと移っていったのです。
それは「コーヒーフレッシュの出現」からでした。ヤシ油から加工製品化されたモノで、見た目には生クリームとそっくりでした。そして腐らないことを表看板にして、苦もなく生クリームとすり替えられたのです。もちろん生クリームと比べて価格が安いということは言うまでもありません。元来、乳製品と馴染みの薄い日本人ですので、その弱点をモノの見事につかれたと言っても過言ではありません。
 模造品ですら、コーヒーフレッシュをそのまま飲んでも油臭いだけで、コーヒーを旨くする力などありません。そんなモノを大手乳製品会社の全てが厚顔にも売り出したのですから、消費者はいっぺんに騙されてしまいました。
「生クリーム」を連想させる「コーヒーフレッシュ」というネーミングも一役買ったのでしょう。

コーヒーフレッシュを使うと、従来の深い焙りのコーヒーでは、焦げ臭く苦く感じてしまいます。
そこで浅い焙りのコーヒーが陽の目を見ることとなりました。これぞ「アメリカンコーヒー」の登場です。

浅い焙りのコーヒーなら生クリームも必要ありません。コーヒーフレッシュを使っても苦みを感じませんし、ブラックでもいいぐらいです。
こうなると家庭や職場でコーヒーを淹れても喫茶店と同じ様な味を賞味できるわけです、コーヒーを飲むのにわざわざ喫茶店に行く必要も無くなったのです。これが喫茶店衰退のシナリオではないでしょうか。

またカリタやメリタのペーパーフィルターの普及も家庭用の追い風となりました。
喫茶店にとっては打撃ですが、コーヒーロースター(焙煎業者)にとっては家庭進出のチャンス到来です。これまで喫茶店を販売経路にしておりました私どもロースターは驚きと共に戸惑いました。

一般家庭へどうすれば入り込めるのか? 家庭用販路の開拓が必要となってきたのでした。
1971年、真空包装機を買い求めました。
それは100%完全真空の出来るF製作所の機械で、小売り部門進出への最初の第一歩でした。

さて「真空包装」と言っても、その程度の差はまちまちです。
例えば大きなナイロン袋に布団を詰めて空気を掃除機で吸い出すアレも「真空包装」と呼ぶ人が居るくらいです。
私は「おいしいコーヒー」を創って小売りするのが目的なのですから、最高の真空度を求めるのが当然です。

初期のゴールドパック 形が歪!?
コーヒーそのものは「夢に描いたとおりの素晴らしい味のコーヒー」を創り出すことが出来ました。ところが商品として売り出すには「味」だけでは片手落ちで、全てそろった製品は1年経っても2年経っても出来ませんでした。問題は2点ありました。

第1点は包材の問題です。参考にしたドイツ製品は250g詰めでしたが、当社は200g詰めに決めました。アルミ箔にナイロン加工した袋に詰めるのですが、その包材にも苦労しました。
焙ってから挽いたレギュラー・コーヒーは案外固くて鋭い角を持っているのです。
真空度が高ければ高い程、コーヒーの粉は袋の内壁に鋭い角を押し着けることになります。そうです、それがピンホールの原因となるのです。
ピンホールがあると徐々に空気が入り、出荷後に不良品となります。
また、外函があっても輸送時の衝撃に耐えなければなりません。型にはめて真空後の形も良くしなければなりませんし、函のデザインも垢抜けしたものがほしくなります。

2点目は実際に真空包装をしてみて気付いたことなのですが、「焙った豆から炭酸ガスが発生する」という点です。この「ガスを抜く」方法はとりわけ厄介な問題でした。

次から次へと難問の連続で、一時はご家庭への小売り販売への進出を断念しようかと弱気になったこともありました。
しかし努力と根気で難問も少しづつ解消していきました。
また、袋詰め専任の担当社員が、外函無しでも販売に堪えうる形の良い製法を考案してくれました。
「コレだ!」と思わず叫びました。
今まで函に詰めていたから、中でピンホールなどで不良品になっていても気付なっかったのです。
「裸で販売するようにしたら不良品を無くせるだろう」と歩留まりも含めてのアイデアに大興奮したのが昨日のようです。
この方法で、当初はナイロン加工しただけの裸の袋詰めでスタートしました。
時代と共に包材も少しづつ改良を重ね、現在のスタイルとなりました。
これも多くの社員の研究努力の成果であると感謝しております。
また「黒い魔女」の味をご支持していただき、ゴールドパックをご愛用していただいたお客様のお陰であると感謝しております。

現在では真空包装機も3代目になっており、今後もさらなる上を見て、少しずつでも改善して参りたいと願う毎日です。